「最近、忘れっぽくなったな」
身体の老化がはじまる40代後半あたりから、そう感じる人が増えるといいます。
モノを置いた場所が思い出せない、人の名前が覚えられない、何かを学んでも学生時代のように頭に入らない、といった体験をして、記憶力の低下を心配する人が増えるのです。
認知症の前兆である記憶障害がはじまったのではないかと心配する人も多くなります。
まず最初にはっきりさせておきましょう。
記憶障害という病気は、自覚症状がありません。
ですから、「忘れっぽくなった」とか「記憶力が低下している」と感じている人は、記憶障害には当てはまらないのです。
いってみれば、「記憶力低下」は誰もが経験する老化現象のひとつなのかもしれません。
しかし、脳科学や医学、心理学などの現状を知ってその原因に近づくことができれば、予防や改善ができるのです。
ここでは、現代の科学的根拠をもつ情報から、「記憶のしくみ」や「記憶力低下を防ぐ方法」をわかりやすく紹介します。
目次
1. 脳細胞は年齢に関係なく増え続ける
2. 短期記憶と長期記憶
3. 短期記憶を長期記憶に変える3原則
4. 脳は忘れることで記憶領域を確保する
5. 記憶の3ステップを理解する
6. 意味記憶をエピソード記憶に変える
7. すぐに「スマホで検索」は正しい
8. 睡眠の質を上げて記憶力アップ
9. 脳機能を高める食事とは?
10. 記憶力低下を防ぐ習慣アレコレ
まとめ
1. 脳細胞は年齢に関係なく増え続ける
現代の脳科学では、記憶は1000億個ともいわれる脳の神経細胞(ニューロン)と、それらが作る複雑なつながり(ネットワーク)に蓄えられていると考えられています。
100年以上もの間、神経細胞から成り立つ人間の脳は、年齢を重ねると新たに生まれる神経細胞が減っていき、一定の年齢に達すると増えなくなると考えられてきました。
ところが今から20年ほど前のこと、ノーベル賞受賞者を何人も輩出しているアメリカのソーク研究所のフレッド・ゲージ博士によって、脳の海馬の入り口にある「歯状回(しじょうかい)」という部位で神経細胞が生まれ続けているという研究結果が発表されたのです。
「海馬」とは左右の大脳辺縁系(次項で解説)にひとつずつあって、人間が五感で受けた刺激から記憶を作り出している部位。
ギリシア神話に登場する海神ポセイドンがまたがる、上半身が馬で下半身が魚である想像上の動物「海馬」の尾の形が似ていたことから名づけられた名称です。
その後も海馬の研究は続けられて、2018年4月、米コロンビア大学のモーラ・ボルドリーニ准教授が「人間は年齢にかかわらず生涯ずっと脳の神経細胞を増やしている」と発表したのです。
それではなぜ、高齢になると記憶力が低下するのかというと、若い人よりも年齢の高い人の方が、神経細胞の新しいネットワークを作る機会や、神経細胞に酸素を運ぶ能力が衰えており、これが脳の老化現象を招くと考えられています。
ですから年齢に関係なく、脳の血流を改善して、神経細胞のネットワークを積極的に増やすことができれば、記憶力低下は防ぐことができるのです。
2. 短期記憶と長期記憶
「視覚」「聴覚」「嗅覚」「味覚」「触覚」という五感で受けた刺激は、電気信号として神経細胞を伝わり、脳全体の85%を占める大脳の表面を覆う「大脳皮質」へと伝わります。
目で見た情報を受け取るのは後頭葉、耳で聞いた情報は側頭葉、全身の触覚や味覚情報を認識するのは頭頂葉と、それぞれ大脳皮質の違う部位で受け取られると記憶情報として認識されますが、嗅覚の情報だけは大脳の内部にある「大脳辺縁系」に伝わります。
大脳辺縁系は、生命維持にかかわる身体機能を管理したり、感情を生んだりする部位で、記憶をつくる海馬があるのもこの部位。
五感それぞれのフィルターを経て大脳辺縁系に伝わった情報は、海馬に「短期記憶」として保持されます。
短期記憶とは数秒から数十分しか覚えていない記憶。
長いものでは数日間覚えているものもあり、意識から消えても1カ月ほどは情報が残っているとする研究報告もあります。
この短期記憶の中から選ばれた情報だけが、「長期記憶」として大脳皮質の神経細胞やそのネットワークに刻まれます。
長期記憶は、一度保持されると年単位で記憶に残り、一生忘れない情報となるものも少なくありません。
一般的に「記憶」と呼ばれているものは、この長期記憶の情報を指しています。
3. 短期記憶を長期記憶に変える3原則
記憶力低下を防ごうとするならば、安定した長期記憶として情報を保持できればいいわけです。
まず大事なのは、短期記憶から選んだ情報を長期記憶として定着させる技術。
短期記憶が長期記憶に変わる3原則というものがあります。
① 強烈な印象がともなうこと
② 重要だという認識があること
③ 反復されたこと
どれも、「忘れない事柄」に思い当たることだと思います。
大脳辺縁系に伝わった情報は、海馬の先端部にある「扁桃体(へんとうたい)」という部位で「好きか嫌いか」「快か不快か」といった判断が行われて感情を生み出します。
生涯忘れないような事柄の多くは、激しい感情がともなっていますよね。
また、「脳が生き残るために必要な情報」だと判断したことも、長期記憶として刻まれます。
これは本能的な行動のひとつ。
近づくと危険な場所や、刃物の安全な使い方などは忘れませんよね。
3つ目の「反復」は、積極的に長期記憶をつくる手段として誰もがやってきたことです。
子どもの頃に漢字や九九を覚えるときには、何度も何度も反復して覚えましたよね。
記憶力アップの方法として、いろいろな「反復法」が考案されています。
4. 脳は忘れることで記憶領域を確保する
長期記憶を保持する大脳皮質の記憶容量は無限ともいわれるのに対して、短期記憶を保持している海馬の記憶容量はさほど多くはありません。
だから、新しい情報を記憶するためには、重要な情報を長期記憶にまわし、必要のない情報は忘れて常に領域を確保していなければいけないのだと考えられています。
「人間はなぜ物事を忘れるのか?」という、「忘却」の研究も進められてきました。
いくつかの説が発表された中で、使わない情報が時間の経過とともに自然消滅するという「自然消滅説」や、恐怖や不安を感じる記憶を無意識のうちに消去して自己防御しているという「抑圧説」は代表的なものです。
近年の研究では「人間は新しい記憶をつくると同時に、古い記憶を消している」という発表があり、脳は積極的に忘れるシステムをもっていて、記憶を効率化しているという説が有力視されています。
短期記憶は忘れることによって新しい情報を刻んでいると考える学者が多いのです。
なぜ短期記憶と長期記憶というシステムがあって、短期記憶の情報容量は少ないのかという点については、自己防御機能だと考えられています。
もしも五感で得た情報をすべて長期記憶として残してしまったら、情報量が多すぎて思考はパニック状態に陥ってしまうと思いませんか?
実際に、記憶を完璧に保持してしまう「超記憶症候群」という症状の実例があり、その人は「心を落ち着かせて生活できない」と訴えています。
忘れることは悪いことばかりではなく、脳機能にとって重要なシステムの一部だということですね。
5. 記憶の3ステップを理解する
「記憶力」とは、何かを覚えて、忘れないようにして、思い出す能力。
① 覚える
② 忘れないようにする
③ 思い出す
この3つのステップで成り立っているといえます。
記憶力低下を防ぐためには、それぞれのステップを理解して策を講じることが必要です。
まず「覚える」というステップは、五感で受けた刺激が脳に伝わり、短期記憶として海馬に保持されるまでの流れ。
この流れを効率アップするためには、神経細胞を中心として、身体を健康な状態に保つことが重要です。
近年、いろいろな分野で注目されている「神経伝達物質」と呼ばれる体内物質の機能を維持することも大切ですね。
次に「忘れないようにする」というステップは、短期記憶が海馬に保持されてから、選ばれた情報が長期記憶として定着するまでの流れ。
「いかにして短期記憶を長期記憶に変えるか」というテクニックが、能力アップのカギとなります。
そして3つ目の「思い出す」というステップは、保持されている記憶を引き出して言葉にしたり文章にしたりする行為。
海馬や大脳皮質に保持されている情報のアウトプットです。
物忘れなどで記憶力が低下したと感じるときは、記憶が消えてしまったのではなくて、引き出すことがうまくできなくなっていることも多いといいます。
必要な情報を引き出す「検索機能」を磨くことも、記憶力低下を防ぐためには重要なのです。
6. 意味記憶をエピソード記憶に変える
短期記憶と長期記憶は、保持される時間の違いによる分類ですが、長期記憶は情報の種類によって「陳述記憶」と「非陳述記憶」に分類されます。
陳述記憶とは言葉や文字で表すことができる記憶であり、非陳述記憶とは楽器の弾き方や自転車の乗り方など身体で覚えた記憶。
非陳述記憶は反復などによって一度定着すると、無意識のうちに機能し続けるのが特徴です。
ここで扱うのは陳述記憶で、覚えやすい「エピソード記憶」と、覚えにくい「意味記憶」に分類されます。
エピソード記憶とは、その場の景色であったり相手の顔であったり、そのときに起こった現象や感情などが結びついている経験に基づく記憶で、関連性が高いので情報のネットワークを構築しやすいのが特徴。
一方の意味記憶とは、文字であったり数値であったりとそれ自体には意味をもたない情報の記憶で、関連性が弱いために覚えにくいのです。
漢字の熟語や、歴史の年代などを覚えるのに苦労した人も多いことでしょう。
忘れたくない情報は、できるだけエピソード記憶として残したほうがいいということですね。
歴史の年代を語呂合わせで覚えたり、四字熟語の故事を覚えたりするのは、意味記憶をエピソード記憶化して覚えやすくしているのです。
記憶に新たなエピソードを加えることも、検索機能の向上につながります。
こうしたテクニックのいくつかは、最終項で紹介しましょう。
7. すぐに「スマホで検索」は正しい
スマートフォンがもつ最大のメリットは、インターネット端末である点ですよね。
いつどこにいても、知りたいことがあったらネット検索することができます。
しかし、スマホが普及しはじめた頃は、考えずに検索機能ばかり使っていると「脳機能が低下する」「バカになる」などといわれたことがありました。
頭を使わないとダメだという発想ですね。
最近の脳科学では、思い出せないことがあったら、すぐにスマホ検索することを勧めています。
ネット検索をして「あ、そうだ!」と思い出すことによって、その情報は新たなエピソードが関連付けられ、より多くのネットワークを構築することになるからです。
「うーん」とうなりながら考えて時間を使うよりも、サッと検索して新たなエピソードを関連付ける方がよっぽど使える長期記憶となるわけですね。
スマホを操作するという非陳述記憶の反復訓練にもなります。
8. 睡眠の質を上げて記憶力アップ
睡眠と記憶の関係も研究が続けられてきました。
脳のしくみは、いまだにすべてが解明されているわけではありませんが、「目から鱗が落ちる」ような発見がいくつも発表されています。
人間の身体には血管のほかにリンパ管という組織があります。
静脈が回収しきれなかった老廃物や毒素を回収して、四肢から上半身へと集まり、鎖骨の下あたりで静脈に合流しています。
しかし、脳にはリンパ管が存在しないのです。
脳はエネルギー燃焼などで発生した老廃物をどうやって排出しているのか、長い間の謎とされてきました。
現代の脳科学では、睡眠中に脳が縮むことが発見され、頭蓋骨との間にできるすき間には脳脊髄液が入り込んでリンパの役目をするということもわかっています。
さらに、短期記憶の情報を大脳皮質に送って長期記憶として定着させる機能が働くのも、主に睡眠中であることがわかっているのです。
記憶力低下を防ぐために、いかに睡眠が大切かということがわかりますよね。
最近は、睡眠の質を上げるメリットが注目され、いろいろな工夫が紹介されているので、ぜひ参考にしてください。
9. 脳機能を高める食事とは?
記憶力は脳機能のひとつですから、身体の健康を維持して脳機能を低下させないことが大切で、睡眠以外にも食習慣や運動といった生活習慣が大きくかかわっています。
食生活で重視したいのは、神経細胞の情報伝達がスムーズに行われることと、新しい脳神経細胞がしっかり生まれること、脳内に活性酸素を溜めないことの3点です。
「頭がよくなるサプリ」や「記憶力がよくなるサプリ」などというものも販売されていますが、それらの多くは神経伝達物質を増やす効果を狙ったもの。
とくに、精神を安定させる効果からストレスや睡眠と大きな関係をもつ「セロトニン」という神経伝達物質を増やそうとするものが多くなっています。
食事でセロトニンを増やそうとするのであったら、その材料となる「トリプトファン」という必須アミノ酸の摂取が効果的。
必須アミノ酸とは、体内で生成されないために外部からの摂取が必要とされるアミノ酸。
アミノ酸はタンパク質を構成する要素で、体内に入ったタンパク質はすべてアミノ酸に分解され、血液によって全身に運ばれて各器官や組織で必要とされタンパク質に再合成されます。
タンパク質は新しい細胞をつくる材料にもなりますから、脳にとっても欠かせない栄養素。
毎日、肉類、魚類、大豆製品などから十分に摂りたいものです。
細胞膜の材料になる脂質も欠かせません。
最近、とくにエイジングケアで注目されている「活性酸素」は、脳機能を低下させる物質としてもリスキーな存在。
記憶力低下を防ぐためにも、抗酸化成分が豊富な食事を心がけましょう。
10. 記憶力低下を防ぐ習慣アレコレ
最後に、ここまで解説してきた記憶のしくみに基づいて、普段から簡単にできる記憶力低下対策を5つほど紹介しましょう。
① 人の名前はエピソード化して覚える
初対面の人の名前を覚えるときには、会った場所の景色や相手の服装など、ひとつでも多くのエピソードを記憶しておきましょう。
名刺の裏などにメモしておくといいですね。
② 写真を眺めて想い出にひたる
通勤の途中や休憩時間などに、スマホで思い出の写真を眺め、ひとつでも多くの情報を拾います。
同じ写真でも、すみからすみまで眺めると意外な発見があるもの。
1週間前、1カ月前、1年前、5年前、10年前というように、見る写真を変えて遡っていくと検索機能アップの脳トレになります。
③ 記憶と「快」の感情を結びつける
短期記憶を長期記憶にする3原則のひとつである「強烈な印象をともなう」という条件を積極的に利用する方法。
半身浴をしながら本を読む、大切な人とは好きな店で食事をする、仕事をしながらアロマオイルを使用するというように、「楽しい」「うれしい」「美味しい」といった快の感情をともなわせて印象を強化します。
④ 寝る前に1日回想
眠る前に、その日1日を朝からずっと振り返ります。
どのような光景を見たのか、自分は何を考えたのか、反省するのではなくてただ振り返るのです。
嫌なことは思い浮かべなくてOK。
検索機能と同時に睡眠の質を高めることができて、記憶力アップにつながります。
⑤ メモを習慣化する
メモをするという行為は、エピソード記憶となるばかりでなく、もう忘れてしまっても大丈夫だという安心感をもたらすのでストレス軽減にも有効。
短期記憶の領域確保にも貢献します。
紙に書かなくてもスマホに記録すればいいのです。
テキストだけでなく、動画、静止画、音声といろいろな情報形態を駆使しましょう。
まとめ
記憶力低下が気になったら、ここで紹介した知恵を活用してください。
必ず効果があるはずです。
物忘れは誰にでもあることです。
脳機能の心配をして対策を考えることも大切ですが、「新しい情報を刻むために忘れている、前向きな行為なのだ」とおおらかに考えることも、また大事。
あまり神経質にならないことが余計なストレスを減らし、脳機能を活性化させる秘訣でもあるのです。
【参考資料】
・『60代から頭がよくなる本』 高島徹治 著 興陽館 2019年
・『専門医がすすめる 60代からの頭にいい習慣』 朝田隆 著 三笠書房 2018年