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  2019.07.15



Vol.9 自然に導かれるようにアストロカートグラフィの途へ─その①

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真弓香(公式)

真弓 香 (まゆみ・かおり)

日本でただひとりアストロカートグラフィ公認解説者の資格をもつ、“タイミング(時)&スペース(自己の可能性を最大限に生かす場所)”を鑑定できるロケーショナル・アストロロジャー。
カリフォルニア州リッチモンド市在住。カリフォルニアのアカデミー・オブ・アート・ユニバーシティ卒業後、ニューヨークのパースンズ・スクール・オブ・デザイン建築照明デザイン修士課程修了。建築照明デザイナーを経て占星学の道に入る。NCGR (米国占星学協会)会員。アストロ・カウンセラー(CITA)養成通信講座講師。クレセント・カンパニー主宰。
主な著書として『パワーゾーン』(ヴォイス)、『外資系キャリアが密かに使う ビジネス・アストロロジー 成功の法則』(経済界)、『アストロ・ダイエット』(講談社)、『あなたの運命を開く場所はここだ! 場所による開運占星学』(太玄社)などがある。

【HP】astro agenda

主な占術方法 : アストロ風水/方位

目次

1.  20年余、おつき合い戴いているご縁に感謝

2. アストロカートグラフィの考案者、ジム・ルイス先生に出会って人生が変わりました
 

3. 昼はインテリア・デザイン事務所で働き、夜間は大学院で建築照明デザインを学んだニューヨーク時代

4. もしアストロカートグラフィに出合っていなかったら

 

1.  20年余、おつき合い戴いているご縁に感謝

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來夢 私が香先生に初めてお会いしたのは、20年以上前になります。

 もうそんなになりましたか。本当に月日が経つのは早いですね。

來夢 出会いのきっかけは、私がプロになるかならないかの時期だったでしょうか、占星学を学んでいるなかで、アストロカートグラフィの存在を初めて勉強仲間から聞いて大変興味を持ったことでした。

さっそく香先生のところにアストロカートグラフィの購入を申し込んで、アメリカから届いたアストロマップを見たときは、本当に震えるほど合点がいったのをよく覚えています。海外などの旅先で、なぜ私はあのように感じたのだろうかということについて、ひとつひとつが腑に落ちる思いがしました。

 來夢先生は、当然、星を読むことができるから、マップ上の線を見ただけで理解できたのですね。

來夢 時間と場所の関係が密接不可分だということが分かったし、英文は読みこなせないけれど、私のクライアントさんに、アストロカートグラフィの理論に基づけば、世界地図にはこういう線が通っているんですよと伝えるだけでも、きっと喜ばれると思いました。

その後、先ほど申し上げた勉強仲間から、香先生が本の刊行を記念して日本で講演会を行うという朗報を聞いて、是非にという気持で講演会に参加することにしました。

講演会の当日、どうしてもお目にかかりたいと思って、講演会が終わるのを待っていると、講演会の関係者の方だったでしょうか、このあと懇親会があるので参加しませんかと声をかけていただいたんです。

懇親会ならお話ができると思って参加してみると、香先生はファンの方たちに取り囲まれていて、会場はとても華やいだ雰囲気に包まれていました。
そして、香先生は私が思っていたとおりの、とても愛らしくて素敵な方でした。

 初めてお会いしたときのことはよく覚えています。あのときから來夢先生、全然変わっていらっしゃらないですよ。

來夢 そして、まず香先生に私のクライアントさんにアストロカートグラフィを是非紹介したいという趣旨を説明して、私が懇意にしている雑誌社があるので、一度お引き合わせしたいとお伝えしたら、「是非に」と即答していただいて、香先生と私、雑誌社の編集長と編集者の4人でお会いすることになったんです。

 たしか、場所は新宿でしたね。

來夢 そうです。
それで私の趣旨については、「來夢先生だったらいいわ」と言っていただいて、ご紹介した編集者の方々に「友人に持つなら、弁護士と医師と会計士と占い師」と、熱く語っていらしたのをよく覚えています。

 実際にそう思いましたからね。
アメリカでも、いい弁護士、会計士がついているビジネスマンは成功すると言われています。それにお医者さん。あとはどれだけ良いご縁があるかによると思うのですけれど、プラスいいアストロロジャー(占星学者)ですね。
現にJ.Pモルガン(金融財閥創始者)は、「小金持ちはアストロロジーをたしなまなくても、大金持ちはたしなみます」と公言していますから。

それにしても、年月が経ったとはいえ、來夢先生とまたこうして親しくお話できる機会を得ることができて、本当にご縁に感謝します。

來夢 私も同じ気持ちです。
香先生は、初めて出会ったとき、とてもキュートで恋する乙女のようでした。いまもその雰囲気は変わらない上に、どんどんたくましくなっておられます。

 

2. アストロカートグラフィの考案者、ジム・ルイス先生に出会って人生が変わりました

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來夢 香先生は、アメリカに行かれて建築照明デザイナーとして活躍されていたわけですが、アストロカートグラフィ公認解説者としての途を歩まれるようになったきっかけは何だったのでしょうか?

 私がアメリカでグリーンカード(永住権)を取得したのは1992年でした。それまでは仕事を変えることができないので、プロのアストロロジャー(占星術師)になることはできなかったのです。
プロになった経緯は、ちょっと長くなりますが、ネット上のプロフィールや私の本で以下のように紹介しているとおりです。

初めてアストロカートグラフィを知ったのは、ニューヨークで建築照明デザイナーをしていた時期でした。旅行が趣味だった私には、衝撃的とも言える出会いで「ぞっこん一目惚れ」という感じでした。自分が良いと思ったものは他の人にも是非、という性分から、友人、会社の同僚など、ご縁がある方々には誰彼なしにプレゼントするようになりました。

そのうち、当然の成り行きともいえる現象でしょうか、彼らは一様に「解読もしてくださる?」と、手土産を持って訪ねてくるようになりました。その頃は、英語の解説書だけで日本語のものはなく、また、解説書が読めるか否かとは関係なく、どなたも、私の見解を聞きたい、とおっしゃいました。
私自身も「一目惚れした恋人(アストロカートグラフィ)のことを、もっともっと、よく知りたい」と、アストロロジー(占星術)を学び始めており、趣味の延長ではありましたが、アストロカートグラフィのカウンセリング「もどき」をすることになっていきました。

それからしばらくして、永住権が取得できたことを機に、冬の極寒、夏の猛暑が辛いニューヨークから大好きなサンフランシスコに戻ってきました。
あとから知ったことですが、アストロカートグラフィよると、私にとってのサンフランシスコ(カリフォルニア州)は、「芸術への理解や評価、花で溢れたハッピーエンドが起こる」ヴィーナス(金星)の場所でした。
また、夜間は大学院で学び、昼はデザイナーとして働いていたニューヨークは「仕事、教育に関するチャンスに恵まれる」マーキュリー(水星)の場所でした。
幸運にも、偶然選んだ2つの都市は、どちらも、私の可能性を最大限に引き出してくれるパワーゾーンだったのです。

カリフォルニアに引越してから一週間も経たないうちに、一通の葉書が届きました。この葉書こそが、私の運命を変えたのです。
その葉書には、「アストロロジャーの皆さんへ。アストロカートグラフィ・公認カウンセラー資格試験のためのセミナーです。是非、この機会にふるってご参加ください」と書かれていました。どうやら、アストロカートグラフィ社は、頻繁にオーダーしていた私を、プロのアストロロジャーと間違えたらしいのです。

「そうよね、プロでなければ、こんなにオーダーする人も稀でしょうし。それに、プレゼントした方々にも、もっと正確に説明しなければ……」と妙な責任感と使命感が湧いてきて、数日後に行なわれるセミナーに参加することにしたのです。これも偶然なことに、セミナー会場は、引越し先から自転車でたった数分のところでした。まるで、近所の友人宅に遊びにでも行くかのような気持ちで、気軽に出掛けたことを憶えています。

セミナー会場に着くと参加者はいずれも、この道、何十年といった容貌のアストロロジャーばかり。私も最初は戸惑ったものの、お昼休みにはジム・ルイス先生に、「日本語の解説書がどうしても必要だと思います。どうぞ私に翻訳させてください」と申し出ていたのです。

このジム・ルイス先生こそが、1941年ニューヨーク生まれのアストロロジャーで、「誕生時に10惑星が4つのアングル(角度)にある場所が、その人にとってパワーゾーンであり、その場所をラインで描いた場所がアストロカートグラフィである」という理論の考案者です。

先生はこのセミナーの翌年、脳腫瘍の病が原因で天国に召されました。お歳が55歳と5カ月と5日のことです。そして、このセミナーが先生の最後の講義となったわけで、もしも私自身のカリフォリニアへの引越しが、あと1週間遅かったとしたら、先生との出会いはなく、アストロロジャーになっていなかったかもしれません。

先生が他界して数日後、「Kaoriに」と私に宛てた、遺品(画像参照)が入った大きな包みを受け取りました。その中味は、70年代に初めてアストロカートグラフィが世に出たときのイラストレーションやマップなど、貴重な原画の数々でした。

資料

それらはまるで、「私の志をしっかりと継いでいって欲しい」と、語りかけてくるかのようでした。それを見たとたん涙がポロポロとこぼれ、そのとき、私はアストロロジャーになることを決心しました。

來夢 ニューヨークとサンフランシスコが可能性を最大限に引き出してくれるパワーゾーンだったという話にも驚かされましたが、セミナー会場が自転車で数分だったということや、先生の遺品が届いたことをうかがったりすると、まるで目にみえない大きな力に導かれるようにしてアストロロジャーになられたのですね。

 そう、「何かに導かれるように……」としか言いようがありません。

 

3. 昼はインテリア・デザイン事務所で働き、夜間は大学院で建築照明デザインを学んだニューヨーク時代

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來夢 ニューヨークにおられた時期は、昼はデザイナーとして働き、夜間は大学院で学んでいたわけでしょう。結構忙しかったと思いますが、そうしたなかで、どのようにしてアストロカートグラフィを知ることになったのかしら?

 当時、私は余暇の時間は一人で自由気ままに過ごすことが好きで、旅に出る時もお共は本、という感じでした。
で、久しぶりに会食したロシア系の友人から、面白いアストロロジャーにいろいろとアドバイスしてもらってすごく良かったけど、Kaoriも是非と勧められ、興味半分で会いに行ってみました。そうしたら、そのパトリシアさんというアストロロジャーの方がアストロカートグラフィを見せてくれたのです。

來夢 そのパトリシアという方に会うことになったのも、たまたまの話ですね。

 そうです。友人からの強い勧めがあったからです。
あの頃は、サラリーマンでしたからクリスマス休暇や有給休暇を利用しないと旅行に出られないし、グリーンカードを取得するまでは、昼はきっちり働いて、夜は学校に通い、週末は宿題をして、と忙しかったですから、たまにしか会えない友人との貴重なときに出た話題だったのでよく覚えています。

來夢 グリーンカードが欲しかったということもあって、ニューヨークで仕事に就いたということですか?

 世界のデザインの中心地、ニューヨークでないと英語が完璧でない外国人にグリーンカードの申請をしてくれる会社はそんなにないですから。

それで、カリフォルニアのアカデミー・オブ・アート・ユニバーシィティのインテリア・デザイン科を出たあと、ニューヨークに行ったわけですが、普通は、就業ビザがないと仕事に就けません。でも、4年生のときにすごく頑張ってデザインコンペで2つ賞をいただいていたので、就業ビザの申請を条件に採用してもらえたのです。

ニューヨークのパースンズ・スクール・オブ・デザインは世界的に有名な美術大学で、数多くの著名デザイナーを輩出しています。そんな大学の修士課程で学べたこと、建築照明デザイン学で日本人として初めて学位が取得できたことは、私の自信に繋がりました。

來夢 大変な努力家だと思います。丁度、日本がバブルで浮かれていたころですね。

 ですから、ドリームズ・カム・トゥルーというミュージックバンドも知らなかったですし、その当時に東京で流行っていたディスコのクレイジーな様子も知らなかったですよ。

來夢 皆さんが踊りに行っていたジュリアナ東京とか、ありましたね。

 日本がバブルだったので、当時、ニューヨークには日本企業が約1,000社進出していました。そうした背景から、アメリカの会社に就職してから重宝されたとも言えます。だから、すべてがすごくラッキーだったのです。

來夢 そうそう、エンパイア・ステート・ビルディングを日本企業が買ったりして、ジャパン・アズ・ナンバーワンなどと言われていた時代でした。それにしても日本企業が1,000社も進出していたとは驚きです。

 デザイン事務所では私、朝からニューヨークの日本企業に建築インテリア関係のご要望はありませんか、というように営業の電話をしていました。これも、日本人として永住権を取得するために必要なことだったのです。必死でしたよ。
なぜかと言いますと、申請した書類が移民局から却下されてきたからなんです。当時、私が働いていた事務所は女傑社長の手腕で、売り上げは全米で大小合わせると何万社とある業界の中でトップ100位の中に入っており、会社の規模、という点では全く問題はなかったのですが、クライアントが全てアメリカ企業、ということで引っかかったのです。つまり、日本人のデザイナーを雇う必要が全く見当たらない、というのが理由でした。

この先どうしようと、奈落の底に落ちたような気分になりましたね。
しかし、落ち込んでいても何の助けにもならないので、それなら、と社長に願い出て、私自身が日系クライアント獲得のために営業活動をさせてもらうことにしたのです。全くの未経験でしたが、捨てる神あれば拾う神ありで、そうこうするうちに、プレゼンのアポや契約が少しずつ取れるようになりました。それらを評価した社長は、私を日系企業担当のディレクターにしてくださったのです。名前だけとはわかっていても、若かったので、ますますやる気になりました。

その時期に、これもすごくラッキーなことですが、私の郷里の地方銀行もニューヨークに進出していたのですね。それで、同郷人がこんなに頑張っているのに応援しないわけにはいかないと、支店移転のときにうちの事務所を使ってくださったり、「当行のお客さんたちにもしっかり推薦しますからね」とおっしゃってくださったりと、もう本当に親切にしていただきました。
当時は、ニューヨークには駐在員がたくさんいて県人会もあったりして。

來夢 県人会がニューヨークに?

 そう、だから私はすべてがすごくラッキーだったと思います。
寒さが苦手ということもあってニューヨークからカリフォルニアに戻ったら、それからわずかのあいだにジム先生が亡くなっているのに、最後のアストロカートグラフィの資格試験にも間に合っていますし。

來夢 本当に偶然とは言えない、運の強さを感じます。先生が亡くなられたのは残念でしたが。

 

4. もしアストロカートグラフィに出合っていなかったら

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來夢 ところで他に、何らかの形で先生のあとを継ぐような方はおられなかったのでしょうか?

 私のように、先生がまだ健在だった頃の話ですが、イギリスに分家のような会社ができました。しかし、当時の方はご高齢になられていますから、すでに若い方が後を引き継いでいらっしゃいます。

アメリカでは、アストロヌーメロリックという会社がありましたが、これまた4〜5年前に経営者の方が高齢で引退。そして、 ジム先生と一緒に活動していたアストロロジャーもやはり病気で引退。ですから、ジム先生亡きあと彼のレガシーを継いで、精力的に活動している後継者がいるというよりは、私のように、アストロカートグラフィの解説資格を持っているアストロロジャーが個人レベルで伝承しているといった状況だと思います。

しかし、後継者、と呼べる人はいないながら、ロケーショナル・アストロロジーの分野は今も根強い人気で、多くのアストロロジャーが研究を続けていますよ。私の専門ではありませんが「ジオデレック」という手法や日食、月食が観測される地点のラインより、地震や災害がどこに起こるかなどを予測するアストロロジャーもいます。

來夢 そうしたお話をうかがっていると、随分前のことを思い出しました。
香先生もよくご存知の、このサイトの3回目に登場していただいた松村潔先生が、まだ朝日カルチャーセンターなどで勉強会を開いているときに、アストロカートグラフィについて触れられて、これには権利代表者が要る、ときちんとおっしゃっていたと思います。ですから、やはり多くの人たちに役立つ情報は紹介し、大切に引き継がれていくべきものですよね。

 まったく同感です。
ニューヨークにいたときに、すでにグリーンカードを取得していたので、別に違う仕事をしてもよかったのですが、グリーンカードを取得後は、1年間は辞められないという規定があったので93年までニューヨークにいて、その年の6月にカリフォルニアに戻りました。偶然にもジム先生のセミナーに参加したのも同じ月でした。

そのセミナーのランチタイムに、解説書の和訳をさせてください、とお伺いしたところ、その場で、ではそれに関しての企画書を送ってください、という流れになったのですね。それから数日後に、改めてジム先生とビジネス契約を済ませた後、またラッキーなことがあったのです。

もうすでに引退なさっていますが、『エルフィン』という占いの雑誌が学研から出ていて、その編集長を務めていらっしゃった土屋さんという方にアメリカからコンタクトを取りました。ジム先生との契約や土屋さんとのアポなどは、ニューヨークで日系企業を担当する際、社長からビジネスの手ほどきを受けていたから出来たことだと思います。そして、東京でお会いした土屋編集長は、それこそ私の大恩人、となりました。

來夢 『エルフィン』は松村潔先生などが執筆されていた、どちらかというと専門的な占い雑誌でしたよね。

 そうです。でも95年の時点でオウム真理教の事件が起きて、『エルフィン』は廃刊になってしまいました。もしかしたら、変な影響を受けないようにという配慮だったのかもしれませんね。

來夢 廃刊のきっかけはオウムの事件だったのかもしれないんだ。

 でも、土屋さんは廃刊になるまでの3カ月間ですが、一緒にやりましょう、『エルフィン』でアストロカートグラフィのオーダー取りますよ、とおっしゃってくださったのです。その結果、趣味が占いというような人たちが読んでいた雑誌だったので何千通もオーダーをいただき、それで私はこちらのほうに力を注いで専門的にやっていったほうがいいなと思ったわけです。そして、廃刊までに間に合ったのも、何かに導かれているように感じました。

來夢 じゃあ、それがきっかけで、いさぎよくデザイナーの仕事は辞めて……。

 建築照明デザインの仕事についてなんですが、大学院の卒論テーマが「日本庭園の照明デザイン」でしたから、もし続けていたとしたら、ランドスケープ照明デザインの方だったと思いますね。
ランドスケープ照明デザインは、公園、ビル、橋など、公共・商業的なものや住宅の庭など、いろいろあり、私が住んでいる北カリフォルニアには、あのころIT関連などで財を築いた大金持ちがたくさんいました。

私の卒論のメンターになってくださったジョン・モイヤー先生は、庭園照明デザインの分野では本も出版するほどの第一人者で、卒業してからもカリフォルニアに事務所を構える先生のところでインターンシップをしばらく続けていました。
モイヤー先生のクライアントは、庭も運動場ほどの広さがある豪邸に住んでいる方が多くて、夜そういうお宅の庭に行って光のフォーカスをするときに映し出された庭園の光景は、実に幻想的で本当に美しかったです。

來夢 いまのようなお話をうかがっていると、建築照明デザインは、まだ走りのころだったでしょうから、もしアストロカートグラフィに出合っていなかったら、香先生はその道の第一人者になっていた気がします。

 第一人者はともかくとして、少なくてもランドスケープ照明デザインの仕事はやっていたと思います。しかし、邸宅の庭園照明デザインはどうかというと、過渡期に出会っていたと思いますよ。
カリフォルニアは規制が厳しく、あの頃は、例えばキッチンには白熱電灯は使っちゃいけないとか、いろいろな規約があって、それに沿ってデザインをしなければなりませんでした。今は経済的で安全なLEDが使われて、私が建築照明を学んでいたころには考えられないほど。技術の進歩に驚かされます。

來夢 そうですか。じゃあ、逆に“結果が途”だったわけで、よかったのですね。

 そう、よかったのです。

自然に導かれるようにアストロカートグラフィの途へ─その② に続く

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