レーテ
故ルネ・ヴァン・ダール・ワタナベ氏に師事。正統派西洋占星術、タロット、ホロスコープカウンセリングを学ぶ。一時期、アンナ・マリア・竜姫という名前で雑誌・TV・イベント等で活動していたことがある。
現在は、お客様によるご紹介の方のみ鑑定を行う完全紹介制。情報過多・漏洩の時代に、教会の告解室のような“個人の秘密”の尊重を心掛ける。
西洋占星術においては、15〜17世紀ヨーロッパ、フランスを中心とした宮廷文化と惑星の関係を研究中。
また、タロットカードに宿る精神性と日本の武士道との共通点が多々あることを見出し、日本人の誇りを呼びさます鑑定を目標としている。主な占術方法:西洋占星術/タロット/ホロスコープカウンセリング/姓名判断/方位/夢解読
目次
1. 悩んでいるときに恩師に戴いた「占術家が向いている」という言葉がきっかけに
1. 悩んでいるときに恩師に戴いた「占術家が向いている」という言葉がきっかけに
來夢 私とレーテさんのお付き合いは、私がルネ・ヴァン・ダール研究所に通い始めたときからですから、もう25年近くになります。レーテさんは、私が自分の経歴を説明するときに必ずお話する方で、とてもご縁の深さを感じています。
さて、小さい頃からの話を含めて占いの道に入ることになった、そもそもの話から伺えますか?
レーテ ギリシャ神話や北欧神話とか旧約聖書が好きで、幼少期は病弱だったものですから、よく夜空の星を見上げて、早くあちらに帰りたいなとずっと思っているような、夢見がちな子供でした。
それに自分で意識していなかったんですが、友達や学校の先生の将来がこうなるとか、銀行や証券会社がいずれ潰れるということを周りの人に言っていたらしいんですね。将来のことは皆んなも分かるものだと思っていました。
來夢 当然のようにね。
レーテ 何で皆分からないのかなあと。あとは、私の家は代々医師の家系で、似ていると言ったら失礼にあたるかもしれませんが、医師と占術家は、中世ヨーロッパで同じでしたので、遺伝的な要素が私にもあったのかと思ったりもします。
20代後半のときに、女性にとって大きなテーマだと思いますが、仕事と結婚についてすごく悩んだ時期がありました。
仕事は当時、企業広報のナレーターをしていました。でも、この先、仕事をしていくにはどうしたらいいか、何が自分に向いているのかと思っていましたし、結婚についても疑問続きの状態でした。
そうしたときに知人を介して、実業家であり著述家・歌人の、戸嶋靖昌(としま・やすまさ)記念館館長の執行草舟(しぎょう・そうしゅう)氏にお会いする機会を得て、話を聞いて下さったのですが、執行氏から結婚については「男はとにかく魂だ。君の結婚観には欲が入っている」と喝破されました。仕事については「あなたは占術家が向いている」とおっしゃったので、「えっ、占いですか?」と大変失礼な受け答え方をしてしまったんです。
でも、執行氏の言葉が深く心に響いて、当時、八方ふさがりだった私はその貴重な言葉を信じて、占いの勉強をしてみようと、ルネ・ヴァン・ダール・ワタナベ先生が講座を開いていらっしゃることを知って、講座に通うようになったわけです。
來夢 レーテさんと知り合った頃、レーテさんは女優の卵で、その道を目指していたけれど、体が余り丈夫じゃなかったから諦めたんだと言っていましたね。
レーテ 文学座の研究所に1年ほど在籍していたことがありましたが、まったく向いておらず、あとはナレーターとかしゃべることしかないと思っていたんです。それも行き詰まっているときに、執行氏から言葉を戴いて、探したらルネ先生の講座が見つかったという感じです。
來夢 ルネ先生のことは知ってたの?
レーテ 知っていました。よく雑誌は読んでいたし、有名な方でしたので。
來夢 ということは、執行さんから「あなたは占術家に向いている」と言われて、誰かに学ぼうと思ったときに、ルネ先生が浮かんだの?
レーテ いいえ、浮かばなかったし、かいもく検討もつかなかったんです。でも、たまたまあのときは、ルネ先生が人を集めて育てようとしていた時期でしたよね。だって、あのときだけでしたよ、ルネ先生の講座で人を募集していたのは。
來夢 えーっ、そうだったの、全然知らなかった。たまたまだったの私たちって。
レーテ そう、そうですよ。偶然ではなかったと思うけれど。ルネ先生は情熱をもって後身を育てたいということで、雑誌の『ケイコとマナブ』の創刊号に講座の募集を出されたんだと思いますし、私の場合はその記事を目にして、通いました。
來夢 創刊号というのもそうだけど、人と人のご縁が感じられて素敵な話ですね。
私の場合は、友人の相談に乗るためのツール探しをしている最中に、ルネ先生の講座に行ってみたら、先生が「当たる当たらないの星占いを教える気はない」とおっしゃったので、その言葉に感銘を受けて講座に通うことになったわけだけど、先生がそう思っていらした時期だったというのは、いま、はじめて聞きました。
レーテ 私は執行氏から言葉を戴いて、やってみようと思ってスタートしているんですが、途中でのんびりしているように見えていたからでしょう、來夢さんにはよく励ましてもらいました。
來夢 だって、「この道で立つ」と言い切っていたわりには、なかなか行動が伴わないから、勝手にヤキモキしてたわけですけどね。私が「そろそろレーテさんはプロデビューする時期では」とルネ先生に進言したのは、後にも先にもレーテさんだけですよ。「それなら母(ルネ先生は來夢を「母」と愛称で呼んでいた)も」ということで、まったくプロになるつもりがなかった私も同時期にプロになったわけですが。
レーテ そうでしたね。でも私、來夢さんも絶対プロになると思っていましたよ。來夢さんは明るくてエネルギッシュで魅力的だったし、元々、周りに友達が寄ってきて、いろいろ相談をされるので結構大変だとおっしゃっていたから、私は初めから來夢さんはプロになると確信していました。ルネ先生からの信頼は誰よりもあつかったし。
來夢 ホント、ルネ先生には大切にされてとても感謝しています。あのときは私自身、先生からプロになるのを予言されていたのかなって思ったぐらいなんですが、プロになったおかげで依存体質の人から解放されたから、結果的に良かったなと思っています。
レーテ 私は1期から、來夢さんは2期から研修生として入っているんですね。とくによく覚えているのは、來夢さんが1番前の席でオレンジ色のきれいなワンピースを着て、子供みたいに目をキラキラさせていて、この方はとても好奇心が旺盛なんだと思ったことです。
來夢 服の色まで覚えてくれていてありがとう。ルネ先生が「当たる当たらないと言っている人には他の占い師を紹介する」とおっしゃって、一気に受講生が半分減って、1期と2期を合わせた40人ぐらいが一緒になったのでしたね。
その後、皆さんがルネ先生にいろいろ自己アピールしているなかで、レーテさんだけ、ひとり涼しい感じだったのがとても印象に残っていますが、まわりの人と違って自己アピールしなかったのは、まだ「この道で立つ」というのが明確じゃなかったから? それとも性分的にアピールしなかったということ?
レーテ ルネ先生は占術界の重鎮であり、戦う“騎士”のような方でした。私達にとって永遠の師匠です。ただ、自立した占術家になることと、ルネ先生にアピールすることは、まったく別の話です。言葉は悪いかもしれないけれど、ルネ先生にあやかってとかいう気持ちはまったくなかったですし、いずれマンションの一室などでやるようになっても、占いの館のような所に出るようになってもいいと思っていました。のんびり見えていても自分の運命は信じていました。
來夢 なるほど、すでにそういうスタンスだったんだ。
2. 広告宣伝いっさいなし、口コミの完全紹介制で
レーテ プロになってから、ほかの占いの館とは異なる、日本占術協会が主宰していた銀座のカウンセリングルームのようなところに出るようになって、日にちは違っていたけど來夢さんも出てましたものね。
來夢 あれ以降、レーテさんはずっと口コミだけでやっているんですよね。
レーテ いえ、ずっとではないです。
原宿に占いの館がありまして、そこに出ているときにフジテレビの朝の番組でしたが、毎週の占いコーナーに出演させて戴いたり、月刊雑誌の『CanCam』のタロット占いのページを1年間担当させて戴いたりしたことがありました。あの頃は、いろいろ経験できて楽しかったですよ。
來夢 そういえば朝、テレビに出ていましたね。あと、最初の頃の経験といえば、日本占術協会からということで、一緒にデパートの屋上で開かれた「占ってミロード」という催しに出たことも思い出しました。私達は普通の恰好をしていたけれど、派手な装いの人がいたりしてね。
レーテ そうでしたね。もうだいぶ前になりますね。
來夢 それに、やはり日本占術協会からということだったと思いますが、生命保険会社の生保レディをねぎらうような催しにも、一緒に行きましたね。
テレビや雑誌の仕事をやめたあとは?
レーテ 広告宣伝いっさいなし、口コミの完全紹介制でやってきました。お客様が良くて、周囲の人に恵まれたからやってこられたと思っています。
來夢 それは素晴らしい。
※占星術とタロットカードの奥深さを知る─その②へつづく…
前回の【來夢の「占いの達人」】はこちら ⇒Vol.4 誰もが持つ運や可能性を使える人、使えない人─その①