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Vol.19 占い文化を築いた師の教えを次世代につなげるーその①

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モナ・カサンドラ

モナカサンドラ先生

プロフィール
ルネ・ヴァン・ダール研究所所属。日本時空心理学協会会長、一般社団法人日本占術協会常任理事、一般社団法人日本占術協会認定占術士。
幼い頃より妖精、魔女物語などファンタジックな世界に興味をもち、1981年より、ルネ・ヴァン・ダール・ワタナベ氏に師事。ルネ・ヴァン・ダール研究所の研究生として、西洋占星術、心理学、神秘学などを学ぶ。アルケミイ研修3年、専科7年の研修を経て、1995年、占星、タロットの師範課程を修了。師より占名「モナ・カサンドラ」を受ける。ルネ・ヴァン・ダール研究所では、占星学ロジックを徹底的に解読・探求。コンピュータによるホロスコープ作成の道をひらく。1998年から月刊誌「MISTY」(実業之日本社)にて、月の動きに着目した毎日の運勢「ルナーリズム占星術」の解説を担当。執筆、後進の指導・育成のほか、さらなる占星の研究を重ねている。著書に『「13星座」占星術』(大泉書店・エミール・シェラザードとの共著)『魔除けのルール』日本文芸社(アイラ・アリスとの共著)がある。ウェブサイト「月の母 28日間の絶対法則」「月のお告げ モナ・カサンドラのこころタロット」「My Birthday DX」(すべて説話社)「ドリームメール」 ユナイテッド(株) 。一般社団法人 日本占術協会 功労賞 

主な占術方法:西洋占星術、タロット

目次

~Vol.19 占い文化を築いた師の教えを次世代につなげる その①~

ルネ・ヴァン・ダール研究所の先輩登場
アルケミイ体操の本がきっかけ
占い師になるきっかけはシステム作りのお手伝い
ワープロに習熟していることが重宝されて
占い師にならなければという焦りはなかった

ルネ・ヴァン・ダール研究所の先輩登場

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來夢さん(以下、來夢) モナ・カサンドラ先生は、私の師匠であるルネ・ヴァン・ダール・ワタナベ先生(以下ルネ先生)主宰の「ルネ・ヴァン・ダール研究所」(以下研究所)で、私が勉強していた頃からの先輩です。11月は師匠のご命日の月ですね。

カサンドラさん(以下、カサンドラ) 今年はコロナなので、みんなでお墓参りに行けるかどうか心配ですが。

來夢 実は私、毎年仲間とともにこっそり行っています。霊園は広いのでお墓の場所はわかりづらいのに、なぜかちゃんと師匠のお墓を見つけてたどり着くんです。

カサンドラ すごいですね。番地がないとお墓の場所がわからない霊園です。先生ご自慢の墓石が呼んでいるのかもしれませんね。

アルケミイ体操の本がきっかけ

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來夢 モナ先生とはこうやって差し向かいでお話をしたことがなかったですね。私の記憶では、研究生当時から、既に「モナ先生」としていらっしゃったイメージなんです。

カサンドラ 來夢先生と初めてお会いした頃は、おそらく師匠から占名はまだいただいてない頃だと思います。

來夢 お手伝いをなさっていた頃ですか。

カサンドラ そうです。私が占名をいただくのに急いでいなかったのもありますが、おそらくお弟子さんの中で、私がいちばん占名をいただくのに時間がかかっていると思います。

來夢 師匠であるルネ先生との出会いからお話しいただいてもいいですか。

カサンドラ それが遠い記憶だったものですから、自分の記憶を呼び起こすために、本を1冊持ってきました。

來夢 ルネ・ヴァン・ダール・ワタナベ著、『美しくなるアルケミイ体操』(集英社)、初版が1980年。こんな本が出ていたんですね。

カサンドラ これがきっかけです。高校生の頃、私は本屋さんでアルバイトをしていて、その時に見つけました。以来私の本棚には常に置いてあります。今回改めて手に取り、この本が最初だったと思うと感慨深かったです。この本と出会ったのと同時期に、占い雑誌「My Birthday」を知りました。友達が読んでいたのですが、面白くて、私も定期的に買うようになりました。今思えば、創刊間もない時でしたね。その「My Birthday」を通じてルネ先生を知り、その一年後には研究所に通うことになります。

來夢 1980年、モナさんが高校時代、本屋でアルバイトをしていた時に『美しくなるアルケミイ体操』という本に出会い、著者がルネ先生だった。当時も体操の本はたくさんあったはずなのに、その中で『美しくなるアルケミイ体操』を手に取ったのはご縁でつながっていた感じね。そして、「My Birthday」でルネ先生を知った。

カサンドラ そうなんです。先生のところでアルケミイ体操を習いたいと思いました。この本に、応募条件が載っていまして、年齢制限があったのです。1歳足りなかったので、17歳の誕生日を待って応募した覚えがあります。

來夢 それでこの本には応募用紙がないわけね。それで初めてルネ先生とお会いした?

カサンドラ そうです。

來夢 モナさんはアルケミイ体操向きの骨格をしてるよね。

カサンドラ 実は、最初は骨格がアルケミイ体操向きではなかったんです。先生に、「君は腰の骨がちょっと」ということになって、だいぶ鍛えられました。今は少しサボっているから怒られるかもしれませんが。

來夢 私は最初から師匠に、「母(來夢)はアルケミイ体操は必要ない」と言われたんだよ。興味津々だったのに。

カサンドラ 骨格がちゃんとしている人には必要なかったのでしょう。ルネ先生にしてみれば、呼吸法を覚えればいいくらいではなかったかと。

來夢 今の言葉、うれしいです(笑)。それでルネ先生が「My Birthday」で占いを書いている先生だとわかったうえで初めてお会いしたんですね。

カサンドラ そうです。とにかくルネ先生のところに行きたかったので、誕生日を待つ間に「My Birthday」を真剣に読みました。

來夢 そのとき、モナ先生はおいくつだったの?

カサンドラ 17歳だったと思います。

來夢 高校生の時にアルケミイ体操を習いに研修生としてルネ先生のところに通ったんですね。もう一つ掘り起こしたいんですが、モナさんは占いやおまじないに一切興味がないまま研究所に入ったんですって?

カサンドラ 興味はありませんでした。研究所に通い始めてから、ルネ先生が「3時のあなた」というテレビ番組で占いを担当している方だと知りました。午後3時は子どもがテレビを見る時間ではなかったので、私は知らなかったんですね。

來夢 そのとき研修生は何人くらいいらっしゃったの?

カサンドラ はっきり覚えてはいませんが、10人に満たなかった感じです。

來夢 先生は面接で落としたりする人だからね。

カサンドラ そうなんです。だんだん研修生が減っていき、最終的には10人未満。それに、お仕事が終わってから来られる大人の方が多かったので、レッスンに全員そろうことは珍しく、いつも5、6人で習っていたと思います。

來夢 当時、モナさんはどこにお住まいでしたか?

カサンドラ 足立区千住の宿場町に住んでいました。

來夢 ということは、学校帰りに電車に乗れば、研究所のあった市ヶ谷には通えたということですね。

カサンドラ 実はたまたま学校が秋葉原の近くだったんです。だから部活が終わったあとに通っていました。

來夢 それは「たまたま」じゃないですよ。もし千葉の学校に通っていたら、学校帰りに市ヶ谷に通うのは無理よ。全部つながっていますね。

カサンドラ 会社勤めの方は仕事の後に来るので、レッスンの集合時間は夜の7時過ぎ。今思えばよく私の親が許可したなと思います。あとから聞いたのですが、アルケミイ体操の研修は、たまたま雑誌などで募集をかけた時期に私が応募したようで、追加の募集はほとんどなかったと思います。研修は3年ほどやって、その後、アルケミイ体操だけの研修はほとんどやっていません。

來夢 四六時中門戸を開けていたわけではなかったんですね。

カサンドラ しかもそのあと高校生は取らなくなったんです。時代の流れもあるかと思いますが、確かに遠方から通いたいと言われても高校生なんて預かれないじゃないですか。

來夢 おっしゃるとおり。今なんてもっと大騒ぎになりますよね。

カサンドラ それに、高校生は常識から教えないといけないから手がかかります。だから、高校生を研修生として取るのはやめようと思われた可能性もあるんです。

來夢 そんな狭き門を、モナ先生はぴったりのタイミングで師匠とつながったということですよね。

カサンドラ そうなんです。

占い師になるきっかけはシステム作りのお手伝い

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カサンドラ 当時の研究所は夢の世界でした。研究所ではマドモアゼル愛先生などのスター選手が原稿を書いていらして、「My Birthday」の取材そのままでした。同じビルにG・ダビデ研究所さんもあって。

來夢 G・ダビデさんは師匠のお弟子さんだと聞いています。

カサンドラ エレベーターの中でたまたま会って、「あの人がG・ダビデさんだよ」と先生は軽くおっしゃっていました。私は「My Birthday」を読んでいたから、「このエレベーターではすごい占い師の先生にたくさん会える」と感激しました。

來夢 日本の占術界の今を作ってきた人たちが結集していたんだ。漫画家にとっての「ときわ荘」みたいなものですね。しかしモナ先生が学んでいたのは、基本的に体操がメインでしたよね。それが研究所をお手伝いすることになったいきさつは?

カサンドラ 自分が何座かも知っていたし、漫画雑誌の巻末占いも見てはいましたが、私は基本的に「人間なんて12パターンに分かれるわけない」と思っていた人間だったんです。でも「My Birthday」を読んでいるうちに、占星術は12パターンだけではないとわかってきました。ただ、研究所に通い始めた当初は、占いの勉強をしろとも言われませんでしたし、私もすぐには習わなかったんです。ただ、参考図書はすすめていただきました。

來夢 ルル・ラブア先生のね。

カサンドラ そうですね。私が高校を卒業すると同時に、ルネ先生がカルチャースクールの講師を始められたので、それがきっかけで渋谷の産経学園などに通い始め、だんだん占いを勉強していったというかたちです。

來夢 ルネ先生は渋谷の産経学園にもいたんだね。

カサンドラ 後年は弟子に任せてしまったので、ずっとではなかったようですが、私が通っていた頃は隔週か月1で、ルネ先生ご自身が講義していらっしゃいました。「占い1本で食べていくのは大変だから」といつもルネ先生はおっしゃっていました。だから私は占い師になるつもりはなかったのですが、そのまま何となく研究所のお手伝いをするようになりました。

來夢 先生はもともと「占いを職業にするのは大変だよ」とおっしゃっていたわけですね。私の場合は朝日カルチャーセンターでルネ先生の講座を受けていました。そこは最初、占い師になりたい人たちがたくさん学びに来ていたと思います。印象に残っているのは、先生が「当たる当たらないの占いを学びたいならほかに行きなさい。僕はそういうことを教えたいわけじゃないから」と言うと、半分くらい生徒が減ったことです。残ったのは、それでも占い師になりたい人たち。私は占い師になりたくて通っていたわけではなかったんですけどね。

カサンドラ アルケミイ体操で研究所に通っていた方の中にも、占いに興味のある方はとても多かったです。

來夢 そうですよね。「ルネ・ヴァン・ダール・ワタナベの」と銘打ってあるので、ルネ先生好きが集まりますよね。

カサンドラ ですが、アルケミイ体操から入った方は、全員が占い師を目指していたわけではなく、自分の人生をよりよくしようという感覚でした。ですから先生も、なりたければ将来占い師になればいい、人生の中でアルケミイ体操も占いも生かしていけばいい、というスタンスでした。私はまだ若かったので、占い師になるというのは現実味が薄く、「なれたらいいな」程度でした。

來夢 でも、「なれたらいいな」はちょっと芽生えてた。

カサンドラ たぶん。どの時点でそう思ったのか、もう忘れてしまいましたが。

來夢 もう40年くらい前の話ですもんね。

カサンドラ そうなんです。それに、高校卒業後は普通に就職もしましたし。でもなぜ研究所に入ったかというと、人手が足りなくて呼ばれたからなんです。そんなことを言ったら怒られるかな。

來夢 いやいや、大事なことですよ。研究所の人手が足りなくなり、手伝いに来ないかと声をかけられたわけですが、転職しないかではなかったの?

カサンドラ 結局は転職でした。転職先は、当時「マインドクリエーション」というセミナーなどを行う関連会社でした。ムーンプリンセス・妃弥子さんや鳳万里香さんがまだ占名をもらっていなかった頃で、既にそこで働いていらっしゃいました。

來夢 それは市ヶ谷の時代でしょう? 本当に研究所と結びついていて就職したという感じなんだね。

カサンドラ そうです。その時、私は占星術は学んでいましたが、鑑定していたわけではないので、占えなかったと思います。

來夢 基礎はできていたけれど、という感じだよね。

カサンドラ そうです。実占は、イベントに出ないと磨かれませんよね。友達を観るだけではわからない。

來夢 机上の空論になっちゃいますからね。では当時、研究所でどんなお仕事をなさってたの?

カサンドラ 事務的なことと、雑誌や書籍などの占い原稿の整理ですね。そのうち、仕事を一つずつ任されるようになって、通信教育の教材を作る取りまとめ担当になりました。私はまだ原稿を書けないので、先生方の書いた原稿を編集部に入稿する橋渡しのような事務的なお仕事がほとんどでした。ただ、テキストにするには文章が足りない部分が出てきます。そこで「じゃあ君が書いておきなさい」ということになり、だんだん原稿も書くようになったのです。

ワープロに習熟していることが重宝されて

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來夢 話を少し戻して、最初の就職はどんなお仕事だったんですか?

カサンドラ ワープロのインストラクターです。当時、ワープロは時代の寵児でした。電気メーカーの仕事もしていたので、ショールームで働いたりしていました。

來夢 私、ワープロは東芝ルポのファンだったの。ルネ先生から頼まれて、今村宇太子先生担当のスポーツ新聞の毎週の占いを手伝っていたのですが、宇太子先生が「みんなの手書きが読みづらい」というので、私はいち早くワープロを買って、誰も教えてくれないのに体得しました。そのおかげで宇太子先生からは「読みやすい」と言ってもらえたんですね。モナさんの場合は、すべてつながっていたんだね。だって、まったく違う仕事をしていたら、研究所に転職しても、畑違いで手伝えなかったかもしれないよね。

カサンドラ そうですね。ちょうど時代が手書きからワープロに移行するときだったので、ワープロインストラクターという前職が役に立ったんです。研究所はルネ先生以外、みんなルポを使っていました。今だとパソコンの機種が違ってもワープロソフトの互換性があるから大丈夫ですが、当時は機種によって互換性がなく、データを共有できなかったんです。でもルポは、当時にしては珍しく、今で言うとパソコンのような業務用のワープロと連動できる唯一の機種でした。それぞれの先生が卓上のルポで打ったデータのフロッピーをもらって、業務用の大型機械で一つにまとめられるので、導入したんですね。

來夢 当時私は、ダイヤルQ2の占い番組をたくさん持っていたので、クライアントに頼まれてフロッピーで渡していたんだけど、それはルポだったからできたんだね。

カサンドラ そう、当時はルポだけが、大型の機械からパソコンにデータを移行することができたんです。でも、すぐにほかのメーカーの機種も追随しました。圧倒的に便利ですからね。

來夢 そんなモナさんの存在はルネ先生にとってありがたかったんじゃないですか。

カサンドラ ちょうどよかったのかなと思います。ワープロが普及してきて、「手書きをやめよう」という流れになったとき、私は原稿を書けませんでしたが、とりあえず先生が口頭でしゃべったことを入力することはできましたからね。インストラクターの資格を取るのに、入力に関しても級を取得することが必要だったので。

來夢 手書き原稿の時は、書いては消しゴムで消し、を何度も繰り返していたのが、ワープロに移行したことで、どれだけその手間がはぶけたか、私自身が実感しています。私見ですが、一番いいご縁というのは、お互いにとって「渡りに船」状態。これがもっともエネルギーがありますよね。間違いなくルネ先生も助かったはずですよ。

カサンドラ 原稿を手渡しする時代から、急ぎのものはファクスで、と変化してきました。そのとき、手書き原稿はファクスに写らない。だからあれは時代のニーズだったと思います。

占い師にならなければという焦りはなかった

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來夢 そうやって原稿整理をすることが占いの「筋トレ」になっていたわけですね。

カサンドラ 最初はいわゆる先生方のための下書きですよね。わからないことも、研究所に資料は山ほどありますし、書けば誰かが原稿をチェックしてくれます。

來夢 そんな古い時期からいたんだね。同時に、占い師として独立して卒業する人たちがもちろんいる中で、その当時から今も研究所を支え続けているのはモナさんだけだよね。

カサンドラ 本当に、先輩方がいつの間にか誰もいなくなってしまいました。私の場合、最初は年上の人がものすごく多かったんです。そりゃそうですよね。10代だったので。あとから入ってきた先輩方からかわいがられた覚えがあるのですが、そういう先輩方が就職や結婚でだんだんいなくなるケースが多かったと思います。

來夢 私が研究所とご縁を持ったとき、モナさんは既に結婚してたと思うよ。モナさんご夫婦が仲よしだと、私の耳にも入ってたよ。

カサンドラ 夫もルネ先生にかわいがっていただいて。「俺がいいと言うまでは結婚はだめだからな」って、ルネ先生はおっしゃっていました。夫はルネ先生と体型も似ていたので、ルネ先生からお洋服をいただいたりもしていました。実は夫も研究所を手伝っていたときがあって。

來夢 ご主人とは研究所が縁なの?

カサンドラ いえ、夫とは学生時代にサークルで知り合ったんです。

來夢 結婚も早かったんだよね。

カサンドラ 今にしてみれば早いと言われますが、私が高校生の時は、女性の幸せはクリスマスケーキと言われていましたから。つまり、クリスマスイブの前、つまり24歳までには結婚したいと女性たちが言っていた、そんな時代です。

來夢 男女雇用均等法もない時代ですしね。

カサンドラ 友達もだいたい24歳前後に結婚しています。だから私も、当時としては早くも遅くもなかったんですが、今思うと早いですね。

來夢 それで結婚してお子さんができても、ずっと研究所をお手伝いしていたわけですね。お手伝いという役割から、モナ・カサンドラになっていったいきさつは?

カサンドラ それも、人手の問題があったんじゃないかなと思うんです。

來夢 原稿のお手伝いではなく、書き手として。そのためには名前があったほうがいいと。

カサンドラ 「私もいつか占名をくれるのかな」と思ってはいましたが、ルネ先生はタイミングを大事にされる方でしたので、占名のことを言われないうちは私のタイミングではないんだろうと思っていました。その頃にはだいぶ年も重ねていましたし。研究所にいながら結婚、出産し、産休を取ったのはおそらく私が最初だと思います。当時はそういう人はあまりいなかったですね。

來夢 そうじゃないですか。だけど、今のプロセスを聞いて「なるほど」と思ったのは、きっかけがアルケミイ体操だったし、研究所でお手伝いしながら、就職、結婚したこともあって、占い師となるまでにいい意味で焦りがなかったんでしょうね。だから、バランスよく力をつけたあとで占名をもらうことになったんでしょう。

カサンドラ 私が研究所に望まれた理由も、占い師としてではないこともわかっていましたから、それでよかったんです。入力みたいな技術はどこでも生かせますからね。

來夢 モナさんは安定しているよね。

カサンドラ どうでしょう。ちょっとのんびりしているかもしれない。

來夢 ルネ先生の朝日カルチャーの講座に残ったのは、占い師になりたい人ばかりだったから、デビューさせてほしくて、ルネ先生へのアピールは相当激しかったよ。占い師になるつもりがまったくなくて講座に残ったのは私くらいだったはず。本当にルネ先生が好きでしょうがないという人もいましたし、みんな「My Birthday」ファンだったし。だから研究所にいらっしゃって自分のペースを守れたモナさんさんは特殊だったかも。

カサンドラ 当時を思い起こせばいろいろ葛藤があったと思うんです。でも結局、先生が占名を授けるとおっしゃるまでは私の時期ではないという思いはずっとありました。

來夢 それはルネ先生を信じる力ですよね。師匠でもあり社長でもあり。研究所は転職先だからね。それで何年目に占名をいただいたの?

カサンドラ アルケミイ体操の研修生3年、占いの専科7年で占名をいただいているのですが、ホームページの年数と辻褄が合わないのは産休の時期があるからですね。先生のお誕生会に占名をくださったんですが、そのときは子どもも夫も出席していました。

來夢 私は95年に占名をいただいているんです。出会ったときは既にモナさんのお名前で呼ばれていらっしゃった気がします。

カサンドラ 同じぐらいじゃないかな。きっと95年のルネ先生のお誕生会だったのは覚えているから。

來夢 3月ですね。ということは私たち、プロデビューの同期ですね。研究所で占いを勉強するには初級、中級、上級、師範科とあり、私が占名をいただいたのは、ルネ先生のもとで学び始めて3年目くらいだったと思います。私はプロになる気がないからとルネ先生に再三言ってたんです。だからモナさんに親近感があるのだと思います。

※Vol.19 占い文化を築いた師の教えを次世代につなげる-その② に続く

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