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Vol.18 笑って悩みを吹き飛ばせる占いを目指してーその①

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ステラ・ボンボヤージュ(すてら・ぼんぼやーじゅ)

vol.18 ステラ先生

プロフィール
翻訳家を目指していたが、神秘世界、精神世界に魅せられて、1991年、ルネ・ヴァン・ダール研究所の研究生となる。

基礎科から師範科を修了し、1997年より、研究所特別研究生として勤務。
研究所では、主に天文心理学、西洋占星学、タロット占い、夢占いを研究中。
師匠ルネ・ヴァン・ダール・ワタナベより「星の光で人生の旅路を明るく照らす」という意味の「ステラ・ボンボヤージュ」の占名を受ける。
ポイントを押さえながら読む人を励ます”癒し系”メッセージが特徴。

エミール・シェラザード氏との共著『パンドラのタロット』(尖端出版発行・ワニブックス発売)、アイラ・アリス氏との共著『初めてのタロットカウンセリング 仕事・人間関係編』『初めてのタロットカウンセリング 恋愛編』(有限会社フリースペース)、がある。

『りぼん』集英社、『ニコ☆プチ』(新潮社)、『Beauty Friends』ゲオール化粧品に連載中。ウェブサイト「ドリームメール」(ユナイテッド株式会社)。
一般社団法人日本占術協会常任理事、一般社団法人日本占術協会認定占術士、日本時空心理学協会理事。
一般社団法人日本占術協会新人賞、奨励賞、功労賞を受賞。

主な占術方法:西洋占星術、タロット

目次

~Vol.18 笑って悩みを吹き飛ばせる占いを目指して その①~

いよいよルネ・ヴァン・ダール研究所の後輩が登場!
こんなに占いにハマっていてはいけない」と冷静になりつつも……
マドモアゼル愛先生の通信講座で初めてホロスコープを作る
「本気でプロになりたい」とルネ先生に弟子入り
原稿を任されるようになって5年、突然師匠から占い師の名前をもらう
今までの仕事を続けるか研究所に所属するか迷った時に見た印象的な夢

いよいよルネ・ヴァン・ダール研究所の後輩が登場!

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來夢さん(以下、來夢) 今回のゲスト、ステラ・ボンボヤージュ先生は、現在ルネ・ヴァン・ダール研究所所属の占い師としてご活躍なさっているのですが、なんと私の後輩なんです。この連載で後輩筋の先生が登場するのは初めて。そして、ステラ先生と会うのも久しぶりなので、いろんなお話ができたらと思います。

ステラさん (以下、ステラ) 「先生」と呼ぶのはやめてください(笑)。

來夢 ではステラ、私たちが出会ったのはルネ・ヴァン・ダール研究所でしたね。私がルネ先生から占いを学んで、上級に進んだ時にお会いしたと思います。ステラはルネ先生にとってはいわゆる内弟子ですが、どういったいきさつで占いの道に入ったのですか。

ステラ まず占いを好きになったきっかけからお話ししましょう。今日、本を持ってきました。小学館入門シリーズの『しあわせ星うらない』。8歳のとき、この本とまさに運命の出会いをしたんです。

來夢 私は7歳に『りぼん』と出会ったのが運命だったけど、あなたは8歳なんだね。

ステラ 負けました(笑)。8歳でも早いと思ったのに。

來夢 小学校3年生の時でしょう? 私は小学校2年生だったことを覚えてる。7歳になる年だった。じゃあ、ステラも漫画が好きだった?

ステラ 漫画というよりは、この占いの本が好きで、毎日とりつかれたように読んでいました。

來夢 小学校低学年のときに本屋さんで見つけたなんて、早熟な子だね。それは誰が書いてるの?

ステラ 私もよく存じ上げないのですが、著者は中川穣助さんとあります。

來夢 昭和50年当時で450円。小学館ミニレディー百科『しあわせ星うらない』、すてきだね。私も相当古本屋に通ってチェックしているけど、この本は初めて見ました。挿絵を萩尾望都先生や岸裕子先生など、当時のスター作家たちが描いているんだ。それでステラは何座なんですか。

ステラ そこが問題。私、星座の境目に生まれたんです。乙女座と天秤座の間、秋分の日です。

來夢 では、乙女座と天秤座の両方を読んだの?

ステラ 両方読んでいました。そのときは出生時間でわかるという知識も全くなかったので。

來夢 この本だとどっちだったの?

ステラ 読み比べると、子供ながらに絶対乙女座的な性格だと思いました。

來夢 「ロマンチックな愛」というほうを読んだのね。一方天秤座は「耐える愛」。初版が昭和50年、西暦で1975年。この時代の天秤座は「耐える愛」だったんだね。

ステラ 今となっては不思議な気がしますね(笑)。

「こんなに占いにハマっていてはいけない」と冷静になりつつも……

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來夢 そういうわけで、小学校2、3年のステラは『しあわせ星うらない』にハマっていたと。

ステラ それが中学に入ったとき、かつての占い好きの皆さんが必ず通る伝説の少女雑誌『My Birthday』に出会ったのです。

來夢 歴代のルネ先生のファンの人は、みんな「マイビー」(『My Birthday』の愛称)ファンだよね。

ステラ そうですね。

來夢 私は知らなかったからね。『My Birthday』を知らずにルネ先生のところに勉強しに来た人、当時私とあと一人だけだったね。私はルネ先生のことをラジオで知ったの。

ステラ 私は反対にラジオでの先生は知りませんでした。

來夢 『ルネの魔法の世界』は夜遅くやっていたんだけど、ルネ先生の声が好きでよく聴いていました。それであなたは、『しあわせ星うらない』から『My Birthday』につながったんだね。

ステラ ちょうど中1の夏休みに、たまたま本屋さんで「おとめ座細密特集」が目に入ってきて、「これだ、読まなくちゃ!」と。それが最初の「マイビー」との出会いです。

來夢 その特集を書いていたのがルネ先生だったの?

ステラ ルネ先生か、その当時の研究所の先生方だったと思います。

來夢 それがきっかけでずっと『My Birthday』を毎月愛読して。

ステラ でもある日突然、「占いに、こんなハマってはいけない」と冷静になったんです。マイビーには「毎日の占い」が入っていましたよね。「今日は低調だからだめだ」など、占いって暗示にかかりやすくなることもあるではないですか。「それに振り回されてはいけない」と、ある日突然思って、6カ月ぐらい自粛しました。でも耐えきれず、すぐ占いに戻ってきてしまって。そんな期間もありつつ、やっぱりハマっていきました。そうこうするうちに『エルフィン』や『MONIQUE』『MISTY』など、いろんな占い雑誌が本当にたくさん毎月出ていたので、手当たり次第読んでいました。

來夢 私、その辺の雑誌もすべてルネ先生と巡り合った後だからね。私の人生に占い雑誌はもともとなかった。

ステラ それは珍しいですね。

來夢 私の場合は、小学校2年生のときに『りぼん』の付録でタロットカードに出会ったのが最初です。当時の『りぼん』の占いは紅亜里(こうあり)先生が執筆なさっていて。のちにルネ先生から、「自分が姉貴と呼んでた人が紅先生なんだよ」と教えていただいたんですが、その紅亜里先生が、私が小学校4年生の時、『太陽と月の本』を出していたんです。それを本屋で見つけてバイブルにしていました。「この性格ってどこから来るんだろう」ということを知るにはこんなにすごいものはない、占いは生年月日で自分を知る最適なツールだと思ったんです。ただ、今日の運勢がどうなるのかなんて、幼い私には余計なお世話だと感じたのだと思うの。だからそういう日々の吉凶を占うものには全然興味が持てず、雑誌の存在も知らなかったんだと思います。でも、ステラの場合は自粛したくらい、占いで自分の気持ちが上がったり下がったりしていたわけだ。

ステラ そうですね。でも最初は「おとめ座細密特集」という自己分析から入りました。自分ってどういう人間なんだろうと知りたくて。でもハマるうちに毎日の占いも目に入る。そこから気にするようになったわけです。当時のマイビーの毎日の運勢は、やはり紅亜里先生が執筆されてました。

マドモアゼル愛先生の通信講座で初めてホロスコープを作る

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ステラ 高校生になり、18歳になった時、占い雑誌か何かで、マドモアゼル愛先生が西洋占星術の通信講座を開講されるのを知りました。それで、愛先生の通信講座を受けることにしました。そこで初めてホロスコープの作成のしかたを知ったんです。ホロスコープを本格的に学んだのはその通信講座でした。

來夢 ステラが最初に星を学んだのは、師匠のルネ先生ではなく、マドモアゼル愛先生だったんだ。

ステラ はい。今は大人気YouTuberになってすごいですよね。

來夢 コロナで日本が自粛中のときに、マドモアゼル愛先生がルネ先生のこと語っていたと、クライアントさんから教わりました。私はアナログ派だから普段はあまりYouTubeは見ないのですが、ルネ先生のことを語ってらっしゃるなら見なきゃと思って。愛先生がルネ先生のことを語ってくださってうれしかったですね。じゃあステラの学びは対面の学校ではなく?

ステラ 通信講座だったんです。だから家でちまちま計算してホロスコープを作成していました。

來夢 月や恒星も全部チェックして。よく通信講座でできましたね。

ステラ そうですね、当時のホロスコープ作成は手計算で手書きでしたから、集中力がいりましたね。

來夢 よくくじけなかったね。

ステラ 最後のスクーリング兼お茶会に出席して、実際に愛先生にお目にかかった記憶があるので、一応修了したとは思うんですけど。

來夢 じゃあ、天文暦もそのときに購入したんだ。マドモアゼル愛先生は「天文暦」も出してたもんね。

ステラ 講座のセットの中に、冊子形式の天文暦はついていました。

來夢 合っていたんだね。今でこそパソコンで生年月日をたたけばホロスコープは簡単に出るけれど、当時は電卓で計算して完全手書き。オタクの世界だったもんね。それから?

ステラ もっと占いを極めたいなと思いました。ルネ先生にはお会いしたことがなかったのですが、「マイビー」をとおしてその存在は知っていました。それで愛先生かルネ先生、どちらかの弟子になりたいと図々しく思ってました(笑)。

來夢 愛先生のところで学んだけれども、『My Birthday』のファンだったから、ルネ先生のことも好きだったわけか。それで?

ステラ ルネ先生が講師を務めてらした朝日カルチャーのスクールがありましたよね。そこで、たまたまルネ先生が西洋占星術講座を開催されるという情報が入ってきまして。このタイミングであのルネ先生の講座が開かれると。それでルネ先生に学ぼうと決断しました。

來夢 それで朝日カルチャーセンターの西洋占星学講座に来たわけだ。私は「朝カル」からルネ先生に学んだの。朝カルは、西洋占星学講座の入門しかやってなくて、そのあとの中級・上級はルネ・ヴァン・ダール研究所の中のお教室だったじゃない? だから、ステラはそのまま中級、上級、師範科と進んできたんだね。

ステラ そうなんです。

「本気でプロになりたい」とルネ先生に弟子入り

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來夢 どの辺からルネ先生のお手伝いをするようになったの?

ステラ 「朝カル」に通っている頃、占いの月刊紙『MISTY』がすごくはやっていて。『MISTY』主催で、ルネ先生のセミナーや合宿などのイベントをよくやっていたんです。來夢先生も「ルネ先生と行く!ギリシャツアー」に参加されましたよね。

來夢 そう。私の場合、直接ルネ先生から電話がかかってきて、「ハハ(母)」って。私はルネ先生から「ハハ」と呼ばれてたでしょ。で、「ハハ、一緒にギリシャに行かねえか」って(笑)。

ステラ さすがに私はギリシャには行けなかったんですけど、長野の合宿ツアーは行きました。

來夢 あの当時は、読者と泊まりのツアーがたくさんありましたよね。私も師匠のおつき合いで、長野の戸隠や小布施の北向観音にご一緒したことがあります。宮崎は何度も呼ばれて行きました。笑い話のようなものなんだけど、ルネ先生は読者をヒヨコのオスメス分けるように、骨太とそうじゃない子と分けていました。ルネ先生はアルケミー体操を考案して、骨を大切になさってたでしょう。骨太の子は自分が担当してアルケミー体操をやり、骨太じゃない子は全部「ハハ、頼むな」って、いきなり私が担当させられて。

ステラ 骨格診断じゃないですけど、確かに「骨」をとても重視されていましたよね。

來夢 そうなのよ。それで師匠に、「私、何をすればいいんですか」と聞いたら、「ハハだったら、タイムウォッチと紙があれば何かできるよ」と言われて。もう自己流の勉強会を開くしかない。だって、紙と鉛筆とストップウォッチしか渡されてないんだから。すごい無茶ぶりでしょう。でも、あの体験があったおかげで今があると思ってるけどね(笑)。

ステラ 私、宮崎には1〜2回しか行ってないんです。そのセミナーに参加したときに、夜、1人10分ぐらいずつ、ルネ先生と一対一で話す時間があって。チャンスだと思って、「占いのプロになりたいので、お勉強を教えてください」と図々しく言ったと思うんです、私のことなので。

來夢 ステラって奥ゆかしいイメージだけど、それは直球で言ったわけ?

ステラ 直球です。

來夢 じゃあ、本気でそう思ったわけね。朝日カルチャーでルネ先生とお会いしてから何年ぐらい後なの?

ステラ 6カ月後ぐらいですか。4月に入学して半年後、秋でした。

來夢 秋には「プロになりたい」と師匠に直訴したんだ、すごいね。

ステラ ルネ先生は「合宿が終わったら、いちど研究所がある市ヶ谷に来なさい。ちゃんと面談するから」と仰ってくれました。家に帰ると、さっそくお電話をして訪ねたんです。

來夢 ルネ先生といえばおなじみのダブルクロイツのマークが入った扉のある、師匠の書斎ですね。

ステラ そうです。そこでまた改めてプロになりたいことを伝えて、弟子入りの志願をしたんです。そのときルネ先生が「わかった。では君の腕時計を貸しなさい」と言われたので、腕時計を渡したんです。「弟子になるということは、これを僕が預かるということだから」と言われました。私は何が何だかよくわからず、きょとんとしながら「はい」と。「じゃあ、そういうことだから」と言って腕時計を返してもらったことがとても印象に残っています。今考えると「自分の時間を(僕に)預けなさい」ということだったのかなと思います。

來夢 その儀式、私もそばで見たことがある。おっしゃるとおり、「弟子入りとはそれだけのものを預けるということなんだよ」という話はなさっていたよね。私はしていただいた覚えがないけど(笑)。

記者 初めて聞きました。

來夢 私は合宿のときに、まかないの料理を作りながら見てた気がする。

ステラ あれはやはり儀式だったんですね。納得しました。それでとりあえず弟子入りしたんです。最初は雑用というか、市ヶ谷の書斎にお掃除に行ったりしていました。

來夢 私の記憶が正しければ、ステラと出会ったとき、新宿の書店に勤めながら研究所のお手伝いをしていたよね。

ステラ そのとおりです。

來夢 Amazonなどない時代だから、私、欲しい本のタイトルを全部紙に書いて、あなたに渡していたよね。

ステラ 社員割引が効くのでいろんな人から頼まれてました。

來夢 私、相当頼んでたから申し訳なかったなと思って。

ステラ いえいえ。たくさんの本を抱えて研究所に通っていたのが懐かしいです。17時には仕事を終えて、その足でまっすぐに研究所にお手伝いに行っていました。資料作りなどをしながら、沢山のことを学ばせていただきました。

來夢 地下鉄で1本だもんね。ステラってそもそも東京の子なの?

ステラ そうです。ずっと新宿でした。

原稿を任されるようになって5年、突然師匠から占い師の名前をもらう

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ステラ そうやって自由に研究所に出入りしているうちに、「原稿でも書いてみないか」と言われるようになりました。初めていただいたお仕事は、某社の社内報の原稿で、最初はムーンプリンセス妃弥子先生に見ていただきました。当時はパソコンどころかワープロもなく、手書きでした。

來夢 私も当時は原稿用紙に手書きでしたよ。師匠から占い師としてのお名前をいただいたのは、それからどれぐらいたってからなの?

ステラ 5年後くらいですね。

來夢 何かきっかけがあったんですか。

ステラ とくにこれというきっかけはなかったと思いますが、先生的に「そろそろ」という感じだったのだと思います。占名が書かれた襲名紙をいただき、「君の名前はこれだ」と言われたのは覚えています。

來夢 師匠が「ステラ・ボンボヤージュ」と書いて表彰状のように渡してくれたんですか。

ステラ いつもの「この書類をよろしく」みたいな感じで、さらっと。今のように襲名式という仰々しい感じでもなかったですね。

來夢 でも、うれしかったでしょうよ。

ステラ それはもううれしかったです。名前の意味もそこに書かれてありました。ステラが「星」、ボンボヤージュが「よい旅を」。星の光で人生の旅路を照らすという意味があると。

來夢 そんな意味があったのね。師匠から「イワモトはステラ・ボンボヤージュっていう名前にしたんだよ」とお聞きしたとき、あなたらしくてかわいいなと思って。「イワモトにぴったりな名前ですね」って即答で返した。ステラ・ボンボヤージュって、温かくて、丸いイメージだね。その意味はすてきじゃないですか。

ステラ ありがとうございます。

來夢 人にアドバイスするのも、そういうことでしょう?

ステラ はい。來夢先生のお名前もルネ先生につけていただいたんですか?

來夢 私の場合、父親がつけた私の本名をルネ先生はすごく気に入ってらして、「その名前を使いたいんだよ」って。「師匠、私、『菜っぱ(なっぱ)』がいいんだけど」と言ったら、聞こえないふりされたの。ルネ先生に聞こえないふりをされたの、その時が初めてよ。もういちど、「先生、私、本当にペンネームみたいな名前がよくて。だから『菜っぱ』ってだめかな」って言ったらまた無視されて。ルネ先生は絶対嫌なんだなと思ったわけ。だから「これ以上言うのはよそう」と。「だったら、來夢とか舞夢とかどう? もし自分に双子の男の子と女の子ができたら、來夢・舞夢って考えてたんだけど」と言ったら、初めて「來夢はいいな」とルネ先生は反応したの。こうして、自分で決めたことに師匠がOKを出した感じだった。來夢には、人と人をつないで人の支えになるという意味がある。師匠にそれを言われたわけじゃないけどね。

今までの仕事を続けるか研究所に所属するか迷った時に見た印象的な夢

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來夢 名前をいただいたときは、もう研究所に完全に就職してた?

ステラ そのときはまだ書店に半分在籍していたんです。

來夢 でも仕事が終わったら、毎日のように研究所に行ってたんでしょう。

ステラ そうです。で、「そろそろ正式に研究所に入りなさい」と言われたんです。そのタイミングがなんと勤務先の契約社員を更新した直後だったのです。一瞬迷ったのですが、せっかくお呼びがかかったので、このチャンスを逃すわけにはいかないと思って、仕事先には「この間更新したんですけどやっぱり辞めます」と言ました。「この間契約したばっかりじゃない」と非常に顰蹙を買ったのですが辞めて、研究所に移ってきたんです。

來夢 タイミングだもんね。

ステラ その直前に不思議な夢を見たんです。私、昔から夢占いにもとても興味がありまして。夢占いでは、転機のときに電車の夢をよく見るということを知っていたのですが……。

來夢 人生が切り替わるときね。

ステラ 夢の中で、私は勤務先の仲間と電車に乗っていました。ふと隣の路線を見るとルネ先生やルネ研のスタッフが電車に乗っているのが見えました。それで、「あっちの電車に乗らなくちゃいけないんだ」って夢の中で思ったんです。すると突然、空からものすごい火の粉がわーっと降りかかってきて。

來夢 火の粉だったんだ。

ステラ その中を潜り抜けて、隣の電車に飛び乗ったんですね。そんな夢を見た直後に現実で、ルネ先生に「研究所に入りなさい」とお声をかけていただいたのです。だからその夢も今でも強烈な印象に残っています。

來夢 すごいね。正夢ね。

ステラ 本当に、電車の夢は転職や進路変更を表すんだなって実感しました。

來夢 契約更新をしたのにそれを断るのは、確かに社会人として顰蹙なんだけど、それくらいの決意があるかどうかというのも大事だったのかもしれないね。

ステラ あのときは勢いだけでしたけど。

來夢 それが火の粉を表しているのかもしれないね。それで完全にルネ研に就職した。ルネ先生に出会って2〜3年目くらい。

ステラ そのくらいです。來夢先生もよく研究所にいらっしゃってましたね。

來夢 そう。ルネ先生からは、「ハハは1人でやっていくんだよ」と言われ続けていたので、研究所には所属という感じでした。だから、師匠の個人的なことに関して連絡がきて、「一緒に来てくれ」みたいな。あまり研究所と絡む内容ではなかったけれど、ルネ先生に頼まれて、研究所外の先生の原稿を書いたり、妃弥子さんのお手伝いをしたり。『なかよし』の「わんころべえの星占い」とか書いてたよ。

ステラ 懐かしい思い出がよみがえってきます。

來夢 1990年代だもんね。もう30年前か。お互い年を重ねましたね。私も來夢生活がこの8月で26年目なんです。ステラはお名前をいただいて20年目くらいになるの?

ステラ 24〜25年はたってるかもしれません。

來夢 占い師として一人前じゃないですか。

 

※Vol.18 笑って悩みを吹き飛ばせる占いを目指して-その② に続く

 

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